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それどこ

バッティングセンター研究家、日本全国のバッティングセンターを行脚する――個性的なバッセン10選

「個性的なバッティングセンター10選」をじっくり紹介! 1996年から日本全国のバッティングセンター行脚を始め、47都道府県を巡礼し、今は国内全店舗制覇を目指すバッティングセンター研究家・吉岡雅史さん。TBS系「マツコの知らない世界」にも出演し、全国各地のバッセンの個性を知り尽くす吉岡さんが、南から北へGO。

文と写真 バッティングセンター研究家 吉岡雅史

評論家という柄でもないし、コメンテーターには違和感がある。だから、当たり障りなく研究家を名乗ることにした。単なるマニアにしか過ぎないのだが、『バッティングセンター研究家 吉岡雅史』の名刺は、結構喜んでもらえる

1996年から地元・大阪以外でも打ち歩くようになり、2年2ヶ月で47都道府県を巡礼。次は国内全店舗制覇を目指し、2016年末までに937軒でバットを振った。肝心の打撃技術には「?」が付くが、苦労した分だけウンチクは貯まっていった。日本列島にはどんな個性的なバッティングセンターがあるのか、そもそもバッティングセンターに違いなどあるのか、10店舗を取り上げてじっくり紹介する。では、高校野球の開会式に倣って、取りあえず南から入場!

【その1】ゴルフ&バッティング BREAK(熊本県上天草市)

熊本地震の直後、天草諸島に新規オープンしたと聞き、興奮と感動を隠せなかった。「よくぞ被災地に作ってくれた」と。

BREAKの外観。立派な屋内型だ
BREAKの外観。立派な屋内型だ

すぐに行きたいのはやまやまだが、いかんせん、行かねばならないバッティングセンターが各地にある身。長年、国内には1,000軒から1,200軒あると推測されてきたが、近年は少子化やほかの競技の台頭を受け、ジリ貧である。未踏破は50軒あるかないか。訪問済みの937軒のうち、つぶれてしまった場所も100以上あるだろう。現在は900軒を割っているかなというのが、僕の実感だ。

そんな中、新規オープンは心の底からありがたい。ようやく訪問できたのは2016年10月だった。都市部でも通用しそうな屋内型の立派な建物。バッティング4打席、ほかにはシミュレーションゴルフ4部屋、卓球台も2台あった。屋内のため飛距離は求められないが、狭ければ狭いで、ミート重視の打撃をすればいい。

プロ球団が使用している高性能ピッチングマシンを採用していることは、事前に知っていた。コントロールがバッセンの生命線。どんなに設備が豪華でも、ストライクが入らなければ失格なのだ。かといって、同じコースにばかり連続で投げてこられても、練習にならない。日々のメンテナンスと、店側の野球の理解度が問われるポイントでもある。

打席を前方から撮影。オープンしたばかりとあって、さすがにきれい
打席を前方から撮影。オープンしたばかりとあって、さすがにきれい

駐車場で社長さんを見つけた。海運業や建設業を営む、いわゆる“地元の名士”だという情報も、すでに収集済みである。

「私はゴルフしかやらないんだけど、この周辺に娯楽施設が全然なくて。だったら、子供たちも遊べるバッティングセンターも作ってしまおうって思ったんです。3年ほど前から計画していたかな。地震で物資が入ってこなくなってオープンが遅れたけど。もっと奥の天草市のほうがにぎやかなんですが、そっちにも作ってくれって、毎日のように催促されますね」

復興の優先順位からすれば、バッティングセンターなど一番最後かもしれない。しかし、被災地だからこそ、体を動かす空間、ストレスを発散できるスペースが必要なのも事実である。娯楽なしに、潤いのある充実した生活は成り立たない。大人も子供も一緒に楽しめるバッティングセンターの面目躍如である。

【その2】三萩野バッティングセンター(福岡県北九州市小倉北区)

マスコミ登場回数日本一のバッセンである。世界最速、前人未到の時速240キロが体感できるのは、地球上でここだけ

三萩野バッティングセンターの外観。意外と奥のマンションから騒音の苦情はないらしい
三萩野バッティングセンターの外観。意外と奥のマンションから騒音の苦情はないらしい

日本ハム・大谷翔平投手の165キロや、2017年シーズンからヤンキースに復帰するチャップマン投手の170キロでさえ、かすんでしまう超剛速球に、素人が挑戦できるのだ。非現実的というなかれ。ナンセンスも度を過ぎると、むしろ夢となり、各地から挑戦者が後を絶たない現実が、すべてを物語っている。

とにかく怖い! 軟球といえども、当たれば死んでしまうのが本能的に分かるから、打席に立つのに一大決心が必要だ。僕の240キロ初挑戦は2016年12月。最初の5〜6球は、恐ろしくてバットを振ることすらできなかった。1ゲーム15球。途中から変な汗が出てきた。2ゲーム目になんとか2球かすった。

前回訪問した2013年、平日は最速230キロだった。筋のようなものが向かってくるのに驚きつつも、見逃すことはなかった。勿論ほとんどが空振りで、たまにチップすると、焦げたにおいが打席に漂う。2ゲームやって1本だけ前に飛んだことを覚えている。

240キロの衝撃を物語る防球ネットとゴムマット。どちらもボロボロ
240キロの衝撃を物語る防球ネットとゴムマット。どちらもボロボロ

わずか10キロの差でも、難易度は数段違う。それを告げると社長の末松一英さんは、ニヤリとしながら口を開く。「だって吉岡さん、100メートル走で15秒かかる人が14秒にするのは簡単だけど、9秒台の人がコンマ1縮めるのは至難の業でしょ。それと同じことですよ」

僕が三萩野を初めて訪れたのは1996年だった。そのころは“大魔神”こと横浜・佐々木主浩投手に敬意を表して、店内最速は150キロ。2006年に当時横浜のマーク・クルーン投手が日本球界で初めて160キロの大台に到達すると、三萩野にも160キロが登場した。

社長の遊び心も手伝って、180キロ、200キロと、プロ野球の常識を超越したスピードアップが実現していく。

末松社長と240キロ打席の前で
末松社長と240キロ打席の前で

三萩野に触発されるように、時速200キロオーバーは何軒か現れるようになった。奈良県田原本町の「田原本バッティングセンター」、期間限定だが大阪府茨木市の「コスモエース」。九州以外のバッセン愛好家が、三萩野への登竜門として通うケースも目立つ。

シーズンオフにプロ選手がフラッとやってきても、当然240キロは打てない。打つ必要もないけど……。それを通いなれた素人が打ち返す。打ち返すどころか、25メートル先のホームランボードにぶち当てるつわものもチラホラ誕生している。

人間は何キロまで打つことができるのか。人類の進化を目撃できるのも、バッティングセンターの魅力のひとつだと思っている。

【その3】高陽バッティングセンター(広島県広島市安佐北区)

2016年末時点で国内937軒のバッティングセンターを訪れた僕だが、店の“お品書き”を示されたのは、ここ1軒だけだ。

高陽バッティングセンターの外観
高陽バッティングセンターの外観

経営者の佐久間英憲さんは、初めての客が入店するや「1ゲーム210円で25球です。ここでコインを販売しています。スピードはソフトボールの65キロから、軟式で130キロまでありますが、100キロでも一般人には速いですよ」との説明を欠かさない。

佐久間さんの言動から、ゲームへの期待は高まった。ところが、2ゲーム3ゲームとこなせど、打ち損ねが通常よりも多く、満足のいく内容とはいかなかった。

マシンのコントロールが悪いのか、自分が下手なのか。

スイング数が100を超えたころ、マシンの傾向に気がついた。明らかなボール球は1ゲームに1~2球しかない、と。水分補給の間に、佐久間さんに感想を話した。すると、してやったりの表情だ。

「ストライクゾーン内で広く散らばるように調整してますから。結構難しい技術なんですよ」

話し込んでいた事務所からは、すべての打席が見渡せるようになっている。ピッチングマシンは消耗品。突如として機械の状態が狂っても不思議ではない。だから、こうして店の人間が1球1球、目を光らせているところは、「打ちやすいバッティングセンター」とお墨付きを与えてもいいだろう。

セルフタイマーで記念撮影しようとしたら、お客さんが入ってきて、慌てる佐久間さん(写真中央)
セルフタイマーで記念撮影しようとしたら、お客さんが入ってきて、慌てる佐久間さん(写真中央)

この「打ちやすさ」を第三者に伝えるのは難しい。実際に体験してもらうのが一番なのだが、高陽に出会って、文章で表現することができるようになった気がする。

熊本のBREAKでも触れたが、全部のボールが同じコースに来ては、やがて慣れて打てるようになるので面白くない。ボール球が多いのは論外だが、時々混じる悪球を見送るのは、立派な練習方法である。

客が息抜きに来ているのか、真剣に練習しに来ているのかで、捉え方は変わるので、店にとっては機械調節のさじ加減が難しいところではある。

【その4】HARD SPIRIT(徳島県徳島市)

世界最小、わずか1打席のバッセンだ。足元は黒土なので、実戦に即した練習ができる。独占状態だからバッティングのみならず、ピッチングをしようがキャッチボールをしようが自由なのだ。

HARD SPIRITの入り口
HARD SPIRITの入り口

1打席なので商売的に厳しいことは、想像するに難くない。それでも、地元名門・徳島商業高校野球部の主将だった店主の浦善博さんは、客の要望に応じて硬式用と軟式用のピッチングマシンを入れ替え、自ら1球1球、ボールをセットしてくれる。僕が訪問した時は、中学生のキャッチボール相手をしていた。

中学生のキャッチボール相手を務める浦さん(写真手前)
中学生のキャッチボール相手を務める浦さん(写真手前)

そもそも、店舗のリサーチを僕はどうやってきたか。全国行脚を始めた1996年当初は電話帳と口コミしか頼れる情報はなかった。毎年、図書館で職業別電話帳、いわゆるタウンページと3日ほど格闘して、新規開店の有無を確認するのも、活動の一環となっている。

ネットが日常生活に浸透するようになってからは、インターネット版タウンページでの検索も可能になったが、電子版と印刷物とでは、微妙に掲載内容が違うことがある。そうこうするうち、専門サイトや各店舗がホームページを開設するようになり、調べるのも容易かつ効率的になった。HARD SPIRITの存在を知ったのもネット出現以降のことである。

調査手段は進化しても、僕の活動は旧態依然としている。実際に足を運ばないことには何も始まらない。普段通りの感覚で飛び込んだものだから、浦さんはちょっと慌てたようだった。平日ながら、予約が詰まっていたからだ。1打席しかないのだから無理もない

「3分ならなんとかなります」と言ってくれて、27球打つことができた。「せっかく来てもらったのに、満足に打ってもらえず、すみませんでした。できたら次回からは、電話してもらえると助かります」

浦さんと記念写真
浦さんと記念写真

空き倉庫を借りて、内部の工事はほぼ自力で行ったとか。プロや甲子園を夢見る子供たちの力になるには、1打席あれば充分なのかもしれない。屋号通り、浦さんの野球魂があふれるバッセンだった。

【その5】バッティングセンターニュー富田林(大阪府富田林市)

各地を巡っていて、最も感心したバッセンである。「車いす対応打席あり」。その手があったかと、感動すら覚えたものである。

奥のスロープが車いす対応を示す。これだけの配慮で障害者もバッティングが楽しめる
奥のスロープが車いす対応を示す。これだけの配慮で障害者もバッティングが楽しめる

体に障害があっても野球を楽しむ人たちを、僕は何人も見てきた。有名どころでは、先天的に右手首から先がないにもかかわらずソウル五輪でアメリカに金メダルをもたらし、ドラフト1巡目指名で大リーガーになり、ノーヒットノーランまで達成したジム・アボット投手。無名ではたくさんいるが、とりわけ兵庫県内の養護学校チームの車いすバッテリーには、驚かされた。

2004年のオープン時から、軟式兼ソフトボールの1番打席には、スロープが設けられている。ちなみに車いす対応バッセンは、ほかには宮城県気仙沼市の「気仙沼フェニックスバッティングセンター」ただ1軒。

「どうせ商売を始めるのなら、社会貢献もできないか、ということになって……。当初は何人か定期的に来てくださいました。その方たちが、どうなったのか、ここ数年は、利用はないですね」

不意な質問にも店長の平松陽介さんは丁寧に答えてくれたが、表情は少し寂しそうだった。大学、社会人、独立リーグとプレーし、プロ野球選手を目指したが、けがもあって断念。家業を継ぎつつ、野球少年に打撃指導の毎日を送っている。

平松店長(写真左)とツーショット。見た目通り、なかなかのナイスガイ
平松店長(写真左)とツーショット。見た目通り、なかなかのナイスガイ

「同じことを教えても、小学生のほうが中学生よりはるかに吸収が早い。クセが治る時間も」と平松さんは話す。僕が子供のころに、ちゃんと基礎を学ぶ場があれば、どうなっていただろうか。悔しさ半分、今の子供たちへのうらやましさ半分だ。

【その6】中日バッティングセンター(岐阜県岐阜市)


富田林が感心の極みなら、ここは驚愕ナンバー1。別棟にある「軟式守備」2レーンが、野球ファンの常識を覆す。元来、日本人は打撃より守備を重視する傾向にあるにもかかわらず、“フィールディング・センター”は3軒しか確認できない。

中日バッティングセンターの外観。守備以外にもいろいろ。看板奥がバッティングスペース
中日バッティングセンターの外観。守備以外にもいろいろ。看板奥がバッティングスペース

イチローが少年時代に通った愛知県豊山町の「空港バッティング」を訪問した帰り、岐阜駅で途中下車。路線バスに乗り換え、最寄りのバス停から数分歩いてたどりついたのは、行脚開始元年の1996年。まだ30代前半で体力はあった。

まだ先代の鈴木義政社長がご存命で話を聞くことができた。

「野球は打つだけでなく、守りも大事だと、常連さんからリクエストが多かった。幸いスペースに余裕があったし、オートテニスの機械を改造してノックのようなボールが飛んでくるようにしたんです」。こういう主旨の説明だったと記憶している。

「軟式守備」の表示がないと、何のスペースか分かりづらい
「軟式守備」の表示がないと、何のスペースか分かりづらい

とにもかくにも、体験しない手はない。1ゲーム40球。草野球レベルでは一度に40本もノックを受けることはない。規則正しいバウンドが左右交互に飛んで来るだけだが、想像以上にしんどい。初めのうちは捕球しては送球と、張り切れるも、だんだんそんな余裕もなくなっていく。

守備練習に挑戦中。まだバテる前か……
守備練習に挑戦中。まだバテる前か……

2ゲームやったところで、汗だくになった。バッティングなら200スイングはしないと出ない発汗量だった。「結構疲れるんですよね。送球なんかしていられませんよ」と鈴木社長。そんな重要事項は先に教えておいてほしかった。

なお、グラブは貸してもらえるが、ここはマイグラブで勝負したいものである。2回目以降は持参するようにした。

【その7】ベースボールハウスMVP有沢店(富山県富山市)

健康志向の高さを実感した。“越中富山の薬売り”の伝統は生きている――と。

初訪問時、店内には「体脂肪率35%で1ゲーム無料、40%なら30分打ち放題」との掲示があったからだ。

バッティングセンターMVP有沢店の店内。いたってオーソドックス
バッティングセンターMVP有沢店の店内。いたってオーソドックス

掃除中のスタッフを呼び止めて質問すると「何人か該当者がいらっしゃいますよ。腰の回転運動にいいからって、毎日のように来られますね」という答えが返ってきた。

息抜きに来るサラリーマン、ストレス発散が目的の中年族、プロを夢見て練習を積む少年、客には十人十色の動機があるが、健康増進も大きな理由のひとつだと、ここで思い知らされた。

川合大輔店長は「いろいろやらないと、野球人口が減る中、お客さんを呼べないし」と、様々なアイデアで地元客を楽しませている。前回訪問時の無料企画は、握力70キロ以上で1ゲーム無料。さらに、78キロ以上で卓球30分サービスは、TBS系『マツコの知らない世界』で紹介したところ、マツコ・デラックス氏が「そこはバッティング30分でしょ!」と絶叫しながら突っ込んだ

握力を測定する川合店長
握力を測定する川合店長

店側の遊び心はバッティングをする際にもあって、2つあるホームランボードのうち1つが左右に移動していた。ゲーム性に富み、射幸心をかき立てられるのもバッティングセンターならでは、である。

休業理由ベスト3。雪と風がバッティングセンターの大敵なのだ
休業理由ベスト3。雪と風がバッティングセンターの大敵なのだ

MVPは富山市内にもう1店舗、山室店があって、僕はそちらでホームランを2本打った。すぐさま店内に名前を貼り出してもらえて、気分よく次へと向かえたことを、今でもよく覚えている。

【その8】スタジアム31(山梨県甲斐市)

バッティングセンター47都道府県制覇を果たしたあと、国内全店舗制覇へとエスカレートしてしまったのは、すべてここが根源、失礼、原点である。

甲府駅から車で15分ほどのバイパス沿いにある店舗では、ほぼ連日無料レッスンを受け付けている

スタジアム31の外観。なかなかのスケールだ
スタジアム31の外観。なかなかのスケールだ

師匠が経営している。以前からの知り合いではなく、僕が勝手に師匠と呼んでいるにすぎないが……。

社長の深澤修一さんは、甲府工業高校で夏の甲子園ベスト8。1966年の2次ドラフトで巨人に2位指名された。1軍経験のないまま3年目に広島にトレード。すると外野の控えながら出番が増えるようになり、75年には強打の助っ人シェーン(本名リチャード・シェインブラム)の守備固めを中心に、自己最多の108試合出場を果たし、カープの初優勝に貢献した。

打撃レッスンの案内と、深澤氏の現役時代のパネル。背番号31が屋号に
打撃レッスンの案内と、深澤氏の現役時代のパネル。背番号31が屋号に

「球団や選手会は少年野球教室に力を入れるようになりました。それはとても大事。でも私はあえて、子供じゃなく大人に教えます。そして“お父さん、次はあなたがお子さんに教える番です”と言ってるんです。親から子へ。それが野球本来の姿だと思いますから」

レッスン時間は原則10分程度だが、僕がはるばる大阪からやって来た奇特な客人とあって、1時間近く指導してもらえた。草野球・草ソフトボールひと筋で、本格的な野球経験は大学1年時、準硬式野球部に籍を置いただけにすぎない。毎日練習するのがいやで半年で退部したので、基本ができていないままだった。

1996年に深澤社長と。我ながら「若っ」!
1996年に深澤社長と。我ながら「若っ」!

30歳を超えてから基本を叩き込まれたから、すぐに体が悲鳴をあげた。20年以上経っても、教えられたことが実行できない。でも、できていないことが分かるようになっただけでも、進歩だと考えている。

【その9】駅南バッティングセンター(茨城県水戸市)

三萩野が西日本ナンバー1なら、東は駅南だろう。

最大の目玉は、ホームランを打つと賞金1,000円。賞金制度のあるバッセンは各地に少なからずあるし、1万円という店も九州にある。ただし、ここは出る本数がケタ違いなのだ。「これまでに延べ2億円は払ってますよ」。2代目社長・酒井功さんはあっさりと金額を口にした。

料金表示。ホームラン賞1,000円が目を引く
料金表示。ホームラン賞1,000円が目を引く

年間最多記録が1,700本で、1,000本以上放つツワモノがうじゃうじゃいた。世界の王貞治が22年かけて放った868本塁打のプロ野球世界記録を、素人たちが1年もかけずに更新していく。なんて世界だ!

もっとも、誰でも的に当てられるわけではなく、バッセンでホームランを打つためには実力以上に、運と、それなりの体力と、なんといっても慣れが必要だ。常連になると精度が上がるため、稼げる人はとことん稼げる。

駅南バッティングセンターの店内。ホームランボードは大きめだが、結構高い位置にある。マシン室上には的が多数。どれに当るかは運次第
駅南バッティングセンターの店内。ホームランボードは大きめだが、結構高い位置にある。
マシン室上には的が多数。どれに当るかは運次第

一方、当たらない場合はとことん当たらない。僕は5回目の訪問で、通算1,000スイングを超え、初めて当たった。21球300円の料金設定だから、1万5000円を投資して、やっとこさ1,000円取り返した計算だ。ただ、収支など問題ではない。生まれて初めて野球でお金を稼いだ。その快感に酔いしれることができたのである。

1,000円稼げたから、東日本ナンバー1と持ち上げているのではない。何度も繰り返し強調してきた「打ちやすさ」が前提にある。加えてホームラン賞。さらに、三塁打、二塁打、ヒットの的まであるのは、実にレアケース。さらにさらに付け加えれば、「アウト」まである。初めて訪れた際、よりによってアウトに打球を当ててしまった。トイレ掃除か罰ゲームで腕立て伏せか、ドキドキしながら申告したところ「冷蔵庫からジュース1本取って下さい」と言われ、胸をなでおろしたものである。

「みなさん、そう言って警戒しますね。スポーツマンらしく正直に堂々と名乗り出てください」と、先代社長の酒井志郎さんは笑う。

初ホームランで賞金をゲットし、2代目社長・酒井功さんと記念撮影
初ホームランで賞金をゲットし、2代目社長・酒井功さんと記念撮影

茨城県の1軒目として訪問したのは1997年。選んだ理由は水戸駅から徒歩圏内だという、ただそれだけ。たまたま行った店と、20年来の付き合いになろうとは。

そもそもバッティングセンターによる全国制覇なる企画そのものが、偶然の産物だったことを、もっと早い段階で説明しておかないといけなかった。

野球部ではないことはすでに述べた。しかし、いわゆる“下手の横好き”というやつで、バッティングセンターにはよく通う部類だった。社会人になってもその習慣は変わらず、かつて所属した会社の近くには「名神豊中バッティングセンター」という、打ちやすさにおいては全国レベルの店があった。

そんな中、中学時代の友人の結婚式で、「今年度わが社は全国制覇を達成しました」という上司のスピーチが耳に残った。営業部が1年かけて47都道府県で契約を結んできたという。

「おもろいやん」。僕の頭の中では、瞬時に全国制覇という魅力的な四文字熟語とバッティングセンターが、まさにジャストミートしていた。1995年、阪神淡路大震災を経験した年の秋のこと。年が開け、正月早々に本拠地としていた名神豊中で打ち込み、正式に全国制覇への第一歩を記したのである。

話を水戸に戻そう。安打ひと通りの的があるということは、サイクルヒットだって可能だ。達成者の名前が壁に貼ってあり、中には「巨人軍 広澤克実」のプレートまであった。プロで4番を任されたほどの打者が、本気を出したらこうなるということか。特定のジャンルではプロを凌駕し、その半面でプロのすごさをあらためて知る。これまた実に、面白い。

【その10】一関ナルトバッティングセンター(岩手県一関市)

東日本大震災による津波で、海沿いの陸前高田市にあった「高田バッティングセンター」も壊滅的な被害を受けた。しかし、老店主は懸命に設備を修理して、ゴールデンウイークには店を再建させた。

震災のショックとオーバーワークがたたったのか、店主は営業再開からほどなく急死。会社員だった息子が父の遺志を引き継ぐ。直線2キロほどの海岸には、奇跡の一本松がそびえ立つ。それより僕は、文字通りバッセンに命をかけた親子が守り抜いた“奇跡のバッティングセンター”から目が離せなかった。

その後、宅地再開発のため立ち退きを余儀なくされ、2代目経営者の小山功さんが2年近くかけ、内陸部の崖の上にあったバッティングセンターの跡地を、父親同様、独力で復活させた。2016年、これまたゴールデンウイークだった。

今度の店舗はガケの上に。2代目の小山さんいわく「心臓破りの階段」を上らないと打てない
今度の店舗はガケの上に。小山さんいわく「心臓破りの階段」を上らないと打てない

立ち退きを知った徳島県鳴門市のバッティングセンターから「廃業するから、よかったら使って」と申し出があり、四国から東北にピッチングマシンが運び出された。ヘンテコな屋号はこのためである。

31段の急階段を上らないと、打たせてもらえない。口が裂けても「きれい」とはいえないが、メンテナンスにぬかりはない。

「うちのマシンはおんぼろだけど、コントロールはいいよ。使い始めは分からないところもあるけど、その都度調整するから大丈夫」と、小山さんは自信満々に話す。粘り強く飾らない東北人の真骨頂を見た気がした。

親父が命をかけて守ったバッティングセンターだから、絶対閉めたくなかった。途中、資金がショートしたけど、なんとか再開できたよ。結構遠くからお客さん、来てくれるし、大丈夫だ。ここでやっていける。毎日やってっから、いつでも来てよ。電話してくれたら駅まで迎えに行くから」

陸前高田から一関へ、自力で店を移転させた小山功さんとツーショット
陸前高田から一関へ、自力で店を移転させた小山功さんとツーショット

すごいセリフを小山さんはサラリと言ってのけるから、返事に困る。なんなんだ、この温かさは、この強さは。胸が熱くなった。

* * *

もし僕が、少しは野球がうまければ、大人になってこんなことはしていなかっただろう。下手だからこそライフワークに出会えた。うまくないから野球が一層好きになった。軽いノリで始めた全国行脚が、いろんなバッティングセンターに出会ううちに、僕の人生そのものになった。すべて運命だったのだと信じながら、これからもバッセン行脚は続いていく。

もしも、かなうならば、死ぬまでバットを振り続けていきたい。

著者:吉岡雅史(よしおか・まさし)

吉岡雅史

1963年10月24日、大阪生まれ。独身。スポーツ紙記者を経て、フリーライター。ただし、収入の大部分は放送局での契約業務による。1996年1月からバッティングセンター全国行脚を始め、1998年2月20日、長嶋茂雄氏の誕生日に、長嶋氏の実家に最も近い千葉県佐倉市の「臼井バッティングスタジアム」で47都道府県制覇を達成する。おそらく史上初の快挙。2016年末時点で国内訪問軒数は937に。日本以外にもアメリカ42州、カナダ3州の「バッティング・ケージ」で打っており、全米50州制覇が現実味を帯びてきた。バッティングセンター以外では、地元・大阪府摂津市ソフトボール連盟1部リーグ「BLAST」に所属し、投手兼外野手として一応現役続行中。試合出場はたまに。写真は、ケンタッキー州にある「ルイビルスラッガー・ミュージアム」。世界最長36メートルのバットの前で。

社会的責任[CSR]